2005年11月に発行したエッセイ集『dozeu.net雑想ブック』のコンテンツを
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  ブックエンド 雑草は草原に
        ―あとがきに代えて―


 昨年、初めて自費で『土星の環』という小説集を造ってから、一年経ったいま、また本を造っています。今度はエッセイ集。雑想ブック、なんて名付けて、雑想は雑草に通ず、なんて自分に言い訳したりしている。
 第一部は、映画に関するエッセイを集めています。同様に第二部が、音楽。第三部は小説。第四部はちょっと変わって、「書くこと」についての随想、というよりやはり「雑想」を置きました。そして、全体を前後から(というか、両側から?)ブックエンドと名付けたまえがきとあとがきで支えている。ついでに、本には栞も挟んでおこう、と「栞」と名付けたショートエッセイを各部の間に入れてしまった。
 順番に読む必要はないので、どれからでも読んで下さい。書いた時期はまったくばらばらで、考え方も文体も結構異なっているし、書いた当時とは状況も違ってきているとは思うけれど、一部を除いて大きな変更はしませんでした。(その代わりに、分かる範囲で初出・日付を入れておきました)
 第一部の最初のふたつは、原田知世さん主演、大林宣彦監督作品についてのエッセイ。いずれも劇場公開後に間を置かずに書いたもので、我ながら何だか初々しい。
 『東京物語』から、『ノッティングヒルの恋人』までの短評は、いずれもウェブ上の書評(映画や音楽等も含みます)の投稿サイト『review japan』に書いたもの。
 「トニーとサイコの影」は、一九五〇年代から六〇年代に人気があった二枚目スター、アンソニー・パーキンスについての少し長い随想。
 第二部のふたつのコンサート評も同じく初出は『review japan』。続いて、岡村孝子さんの曲の魅力について書いてみようとしたのが「自由と永遠を追いかけて」。自分のウェブサイト『土星の環』に「自由と永遠に届く日に」として載せていたものに今回加筆しました。
 小説についての第三部は、サリンジャーの『キャッチャー』村上春樹訳の感想と、僕の未完のSF論の素描として書いた「夏の小説」(第一部の「時かけ」論と併せてお読み頂けると幸いです)、そして庄司薫さんについての少し長めの文章を収めました。
 ものを「書く」というのは真に不思議な作業で、今回も造るつもりがなかった「本」を再び造ると決めて、昔書いた文章の中から収録する文をセレクトしたり、新しく書くことにした文章の構想を練ったりしているうちに、いろいろあって気持が塞ぎ込みがちだった僕は元気を取り戻せたりもしたものですが、そんな「書くこと」について、舌足らずながら考えてみたのが第四部に収めた文章でした。

 昨年の『土星の環』では、装丁に力を入れて遊ばせてもらったものでしたが、今回はむしろ装丁はシンプルに(でもないか)、雑多な雑想の並べ方(構成)で遊ばせて頂きました。前回につづいて、大変お世話になった協同印刷のみなさんに感謝します。印刷業界も厳しさが増していることが感じられますが、その中で昨年に続き儲かりようもない本にお付き合いさせてしまいました。
 今回も家族、友人たちに感謝。昔の職場の仲間たちにもエールを贈ります。
 僕にとって、この一年は変化の年でした。
 それに伴う試行錯誤は、今も続いています。
 なんだか、青年期の課題と、壮年期の課題を一緒に抱えこんでしまったみたいで正直しんどいなぁ、と思うときもあります。若い頃の夢や希望は、随分すり減って、しぼんでしまったりもしたけれど、今また、自分を試す機会を得たことは素直に喜びたい。

 というわけで、僕の「雑想」たちよ。草原に還って、サバイバルしておいで。


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 「dozeu.net雑想ブック」を最後までお読み頂き、真にありがとうございました。
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2007-07-01
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