2005年11月に発行したエッセイ集『dozeu.net雑想ブック』のコンテンツを
全文お読み頂けます。

 

 
  

 《目次》

ブックエンド 夜が明けたら まえがきに代えて
(第1部)
時をかける思春期のドラマ-----『時をかける少女』SF序説
天国にいちばん近い映画----ファンタジーとしてのユートピア
狡さの感覚-----『東京物語』評 
汚辱の記憶-----『ラスト・サムライ』評
いま失われようとするもの-----『初恋の来た道』評
リアルさの感度-----『ノッティングヒルの恋人』評
トニーとサイコの影-----俳優・アンソニー・パーキンスの闘い
 栞1(デパ地下、ヴィレッジ・ヴァンガード)
(第2部)
歳をとるということ-----『アート・ガーファンクル・コンサート』評
ぼくは、ここにいるよ。-----『岡村孝子コンサート』評
自由と永遠を追いかけて-----岡村孝子を聴く
 栞2(愛知万博、スコーン)
(第3部)
イノセンスへの信憑-----『The Catcher in the Rye』評
夏の小説-----おじ酸化/還元・序説
1972年の栄養失調-----ある「魂への気づかい」の記録 
 栞3(快活なウソツキになる方法、「大人」としての必要/十分条件)
(第4部)
書くことの根拠
ブックエンド 雑草は草原に あとがきに代えて


『dozeu.net雑想ブック』のご紹介

 

 小説集『土星の環』に続く、dozeu.netからの第二弾単行本は、エッセイ集『dozeu.net雑想ブック』です。
 雑草のように生い茂った雑想を「映画」「音楽」「小説」にジャンル分けして、最後に「書くこと」についての一文を置いて、エッセイ集としました。章の間には「栞」(と名付けた小さなエッセイ)を挟んであります。さらに念を入れて、エッセイの前後をブックエンドと名付けた前書きと後書きで両側から(倒れないように?)押さえておきました。

 《創作メモ》

 第1部は映画に関するエッセイを集めています。初めの「時をかける思春期のドラマ」と「天国にいちばん近い映画」は、敬愛する大林映画とそのヒロイン原田知世さんについて書いた文章です。大林監督には雑想ブックを差し上げたところ、丁寧な礼状を頂きました。ふたつとも喜んでいただけたようで、それだけでこの文章を書いたことが報われたように思ったものです。
  続く、「狡さの感覚」から「リアルさの感度」は観て感銘を受けた作品の短評です。
 第1部最後の「トニーとサイコの影」は、1950年代後半から1960年代にかけて、青春スターとして輝きを見せたアンソニー・パーキンスについての一文です。ぼくはオードリー・ヘプバーンのファンでもあるのですが、この二人が共演し、オードリーの作品の中では数少ない失敗作と言われることの多い『緑の館』でトニー・パーキンスの存在を知り、実際に彼の作品を観たのがヒッチコックの『サイコ』でした。この作品から受けたショックは大きく(まだ高校生だった)、後にこの文章を書くことになったのです。今では、サイコでしか知られることのないアンソニー・パーキンスですが、彼は実に深い表現者でした。
 第2部は音楽についてのエッセイ。あまり数が揃わず、大好きな岡村孝子さんについてのものがふたつ入ってしまいました。
 第3部は小説についてのエッセイ。 「夏の小説」はぼくのSF論である「青年期文学論」の素描として書かれたものです。実は、この理論編に対して、作品論として書いたのが第1部の「時をかける思春期のドラマ」である、という関係にもなっています。「1972年の栄養失調」は、敬愛する庄司薫さんと、その沈黙について書いた文章です。庄司さんが「赤頭巾ちゃん気をつけて」に始まる四部作を書いて芥川賞を受賞し、ベストセラーとして一世を風靡したのは既に30年前のことになります。時に村上春樹さんへの影響を語られることもある庄司さんですが、庄司さんが1970年代末に沈黙するのと入れ替わるようにして、1979年に村上さんはデビューしています。そして、ぼくは、いなくなってしまった庄司薫さんの代わりのようにして村上春樹さんを読んでいくことになったのかもしれない、と今にして思います。
 第4部は、書くこと、について考えてみたエッセイです。ぼくは何故書くのか。
 お楽しみ頂ければ幸いです。
 ■四六判並製本152頁。2005(平成17)年11月21日初版発行。定価980円(税込)。

『dozeu.net雑想ブック』フォーラムを作りました。感想、質問、反論、議論等、なんでも書き込んで頂けたら幸いです。
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2007-07-01
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