2005年11月に発行したエッセイ集『dozeu.net雑想ブック』のコンテンツを
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  歳をとるということ
    アート・ガーファンクル・コンサート評


 二〇〇一年十月十五日(月)、S&Gのアート・ガーファンクルを聴きに、オーチャード・ホールへ行って来た。と言っても、S&Gと言われてピンと来る人はどのくらいいるのだろう。
 ポール・サイモンの名は知っているだろうか。その昔、サイモンとガーファンクルは、世界で最も有名なデュオだった。その「解散」は大きなニュースだった。でも、グループの解散と違って、元々二人っきりのデュオの解散は、二人が一人ずつになる、というわけで、何だか余計に淋しい気がする。……などというのも、ずいぶんと昔の話で(ざっと三十年前!)、すっかりおじさん、というより初老となったガーファンクルが、ステージに立っていた(半分くらいは椅子に腰掛けていた)。
 ニューヨークの心、などの新しい(くもないか)歌はもちろん、S&G時代の、ミセス・ロビンソン、スカボロー・フェア、明日に架ける橋、サウンド・オブ・サイレンス……。実は(もちろん)S&Gを生で聴いたことがあるわけではないから、この歴史的名曲を(二分の一とは言え)オリジナルで、生で聴くのは初めてである。
 一緒に行った友人はともかく、ぼくは洋楽をリアルタイムで聴いていたのは七〇年代の終わりまでである。邦楽こそ聴き続けたものの、ほんの一部のプログレ系を除いては、洋楽は懐かしのメロディー、ということになってしまった。
 で、時々、その懐かしのオリジナル・アーティストが日本にやってきたりすると、誘いに乗ってホイホイと聴きに行ってしまい、いろいろ感じて様々な感慨に耽ることになったりする。
 昨年のギルバート・オサリバンの時には感激してニュー・アルバムを買ってしまった。ママス・アンド・パパスの時には、オリジナル・メンバーが一人もいないことに愕然とした。
 アート・ガーファンクルは、とても気持ちよく歌っていた。ステージには才能豊かなミュージシャンと共に、若くて美人の奥さんと、子供まで登場して、日本における幸福なコンサートの一夜をもり立てていた。
 そこには、幸福感があって、若きS&Gが、曲にも詩にも表現していた「疎外感」などというものは、どこにも見あたらなかった。
 それは、当然のこと、なのかもしれない。
 歳をとるということ。
 誰だって歳をとり、変わっていく。
 でも、ギルバートは、アローン・アゲインを歌いながら、今でも歌の最後には、危うく涙を流しそうになったんだけれどな。
     (『review japan』二〇〇一年十月十七日)

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2007-07-01
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