2005年11月に発行したエッセイ集『dozeu.net雑想ブック』のコンテンツを
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  “自由と永遠”を追いかけて
         ―岡村孝子を聴く―


 一九八八年年以来だから、岡村孝子という一人の表現者を知ってかなり経つ。
 正確には、“あみん”のころの彼女のことも知ってはいたけれど、注目してはいなかった。ソロになって再デビュー後、そのころ葛西に住んでいたぼくは、西口のしょぼいレンタルショップで彼女のCDを何枚か見つけることになる。少し迷って借りたのが『After Tone』か、『liberte』だったか。
 いずれにしても聴いて、ショックを受けた。
 何にショックを受けたのだろう? よくわからない。
 とにかく、彼女はよかった。懸命に「何か」を訴えていた。健気だったのだ。
 彼女は、ある種の理想を求めているように見えた。それは、いかに幼いものであったとしても、笑うべきものではなかったのだ。
 それを、僕はここで、“自由と永遠”と呼んでみたい。
 確かに、それは予め不可能を定められた理想であったかもしれない。
 彼女もまた、結婚と離婚等の経験を通して変わらなかったはずはない。母親として、今は娘さんの成長を感じながら自身の活動も再開している(よかったね)。四十代の始めに、岡村孝子はまた、音楽シーンに戻ってきた。
 第二章、といっていいのなら、既に始まっている。
 そして実は、“自由と永遠”のテーマは、幾度もアレンジを変え、歌い込むだけの魅力と深みを持っているのだ。きっと彼女は、今後も求めることを止めはしないに違いない。

「電車」
 ソロ活動を『夢の樹』というアルバムでスタートしてから四作目の『liberte』(一九八七年七月発表)に収録されている「電車」。この曲を初めて聴いたときには感激した。穏やかなメロディーライン、敢えて単調に刻まれる控え目なリズム、悲しさと優しさと強さのバランスを崩さずにキープするヴォーカル、それらを生かして透明感を醸し出すアレンジ。
 さらにその詩。
 毎朝満員電車に乗って、もみくちゃにされながら、ガラス越しに遠く視線を投げている若い働く女性達。その内面の自画像とも言えるものが的確に描かれる前半の歌詞も良いが、後半に現れる「あなた」と私、のあり方に、岡村さんの「らしさ」が現れていると感じる。
 失ってしまった心の中の「あなた」の前で、「悔やむほど弱くなった」「しかって」ほしい私と「進むほどずるくな」りたい私が交錯する。
 岡村さんが胸に抱いていたと思われる「失われたあなた」への深い思いを僕が理解し始めたのは、無論もっと後のことで、『liberte』以前に発表されていたアルバムを聴いて以降のことであった。以前のアルバムではより直接的に歌われねばならなかった岡村さんの思いは、『liberte』において、「失われた」あなた、から少しずつ自由(liberte)になろうとしていた、と感じられる。
 それこそが「ずるく」なりたい、と岡村さんに歌わせた「思い」の実質ではなかっただろうか。

「秋の日の夕暮れ」
 この曲も「電車」と同じくアルバム『liberte』からのものだけれど、「失われた」あなた、がそのままテーマとして現れている。曲調も沈んだものだが、そこに夕暮れ時の胸が締め付けられるような美しさもまた、刻みつけられていると感じられる。
 詩の中では、「いつか夢がさめても」「心配せずに去ってネ」と歌われ、“あなた”はこれから失われるかのようだが、曲全体のトーンは明らかにすでに失われた恋人を思う歌になっている。例えば、口先の言い訳をからだ全体の身振りが裏切ってしまう、というような経験はないだろうか。あるいは、どうしても認め難いことを何とか認めようとする葛藤が、全体のトーンを支えきれず、“切ない嘘”として顔をのぞかせる、とでも言うしかない心の揺れ。それが詩になっていると感じられる。
 人が人を愛する時、また、その愛が壊れていく時、人は自分を守ろうとして嘘をつく。また、相手を守ろうとして嘘をつく。嘘が自分を傷つけ、相手をも傷つけると分かっていても止めることは出来ない。そのとき、失われずにすむものはほとんどない。
 「あなたと出会って(愛して) 本当に良かった」
 この歌で、すべてが失われてしまったとしても、なんとかして信じていたいひとこととして、この一行が歌われている、と感じられる。たとえ、いつか夢がさめようが(続こうが、変わらずに)、真実であるもの。ここで願われているのはこの一点であるように思われる。

「心の草原」
 この曲(アルバム『Kiss』収録)を聴いたときにも僕は大感激したものだ。岡村さんが「少しずつ前に進」んで来たことを実感させる素晴らしい曲だと思った。光輝く草原のイメージが、岡村さんを包み、新たなステージに至ったことを感じさせる。
 岡村さんの歌の中で、「永遠」ということが大切なテーマとして浮かび上がってきたのはいつ頃だろうか。アルバム『liberte』以降、『SOLEIL』(一九八八年七月発売)『Eau Du Ciel』(一九八八年六月発売)『Kiss』(一九九〇年年六月発売)の三つのアルバムは、岡村孝子という若い表現者が、“自分”を見つけ、表現していく、瑞々しくもスリリングな高揚期にある。これらのアルバムに含まれる楽曲は、いずれもどこかで「永遠」を語っているように思えるのだがどうだろうか。そこでは、単純に永遠が信じられているわけではないし、むしろ、あなたがいてくれれば永遠などいらない、とさえ歌われるのではあるが。
 「心の草原」を聴くと、苦しんで困難な道を辿ったものがたどり着いた“私”を取り巻く世界への肯定感が強く感じられる。そしてその源には「永遠」が潜むと感じられるのだ。その流れはさらに『Chou fleur』(一九九一年七月発売)の中の「永遠の灯」などに引き継がれているように思われる。 
ここに至って、「あなた」をめぐる“自由と永遠”のものがたりは、岡村さんの中で、〈失われたもの〉ではもはやなく、未来の中にこれから〈見いだされるもの〉として肯定されている、と感じられる。
 
「Winter Story」、「明日の風」、そして、結婚・離婚
 『Chou fleur』以降、続く『mistral』(一九九二年六月発売)、『満天の星』(一九九三年七月発売)、『SWEET HEARTS』(一九九四年九月発売)、『BRAND-NEW』(一九九六年二月発売)のアルバムは、岡村さんの充実と次のステージへの模索の両方を表していると感じられる。また、『mistral』収録の「MARIAGE」などを聴いても、岡村さんの中で結婚と言うことが大きなテーマとして膨らんできていることが分かる。三十代を迎えた岡村さんに、適齢期の女性としての葛藤がなかったはずはない。それは、陰に陽にこれらのアルバムに表現されている。また、『Eau Du Ciel』以来のイギリス、チェッケンドンでのレコーディングや、アレンジャーの交代、コンサートバンドの再編成など、いくつかの重要な決定も下している。
 「Winter Story」(『BRAND-NEW』収録)を聴くと、その楽曲の完成度の高さに驚く。おそらく、岡村孝子という表現者の一つの達成と言って良いと思われる。舞台は冬でありながら、曲調は極めて温かい。「昨日と今日と明日を永遠に繋いでいく/終わることのない愛」が歌われ、雪が「景色も街も樹々も」白くしてく様は、緑の草原がさらに純化されたようなイメージとも感じられる。
 一方で、あまりに純化されたイメージには、危険もある。同じ『BRAND-NEW』収録の「明日の風」では、「痛みにかえて手にした自由に疲れて/今日も流されていく」「不幸なわけじゃないけど/悔やんでなんかないけど/時々自信をなくしてしまう/投げ出すように生きてる自分にいつしか/慣れていってしまう」と歌われ、対立する契機が岡村さんの表現の中に微妙なバランスで存続し続けていることを告げていると思われる。岡村さん自身は、このアルバムについてのコメントとして『「落ち込んだときに聴いて元気になる音楽」と言われる時、たいへんありがたいことだと思いつつもこれまで戸惑いを感じることもあったんです。私の音楽はそういうものじゃないってしばらく見ないようにしていたフタをポンっと開けたら、あら、こんなにいいものもあったじゃないという感じ。うれしかったし‥‥‥、自信にもなりました。』と語っている。
 また、六月、七月頃に毎年一作のペースで発表されていたアルバムのペースがこのアルバムでは崩れ、リリースまでに一年半かかっていることも暗示的である。岡村さんは、ある種、完成と停滞の狭間に立っていたとも感じられるのである。
 このアルバムが発表された年の翌年一月、当時近鉄バファローズの石井浩郎選手と結婚し、赤ちゃんも授かるが、二〇〇三年離婚。音楽活動自体は、結婚に伴い休止状態に入り、二〇〇〇年八月発売の『Reborn』で復帰後もゆっくりした展開となっている。

「心のユートピア」
 その『Reborn』に収録されている「心のユートピア」を聴いたときには心が痛んだ。驚きもあった。その歌には今までの岡村さんの歌には現れなかった種類の深い喪失感が表現されているように思えた。
 むろん、以前から失恋の痛みを歌った素晴らしい曲はたくさんあった。しかし、ここで表現されているのは僕がこの文章で“自由と永遠”と呼んだ、岡村さんが抱き続けたある種の理想の断念であるように思われた。
 曲調も沈んだもので、この歌に登場する「あなた」はほとんど岡村さん自身のこと、あるいは岡村さんの抱いていた理想そのものであると感じられる。その理想を今信じられなくなった自分がいる。その寂寥感はポピュラーソングの表現として類例が見あたらないほどのものではないかと感じられる。ここでは、緑の草原も、純白の雪に覆われた街の風景も、「甘い夢」と感じられている。それらは、現実には存在しない、心の(中だけの)ユートピアなのだ、と自らに言い聞かせているのである。先に述べた「心の草原」とは、タイトルだけではなく鋭い対比をみせている。「心の草原」を歌った岡村さんが、この時「心のユートピア」を歌わねばならなかったのだ。振り子は大きく逆に振れていた。
 アルバム『Reborn』には、「永遠の木もれ陽」のような温かな曲もあり、「Dearest Honey」のような子を思う母の気持ちも歌われおり、一面的に捕らえることはできないことはもちろんだが、「心のユートピア」の一曲は、岡村孝子という表現者が、その時何に向き合っていたかを痛いほどに感じさせた。

「春色のメロディー」
 最も新しい曲のひとつである「春色のメロディー」(二〇〇五年一月発売)にも“永遠”は登場する。しかし、岡村さんの隣に「あなた」はいない。ただ、メロディーは消えていない。あるいは、懸命にあの頃のメロディーを思い出そうとしている。あの頃には「手のひらに永遠が確かにあった」のだから。
 岡村さんの心の傷はもちろん、簡単に癒えることはないのかも知れない。しかし、メロディーはまた生まれ、小さく口ずさみ始めている。未来はまた、ゆっくりと歩み始めた、そう岡村さんにも感じられているように思われる。
 岡村さんの歩みが今後どのようなものになるのか。それを、見守っていきたい。
   (『ひま人magazine Vol.7』一九九一年十一月をこの度加筆改稿)

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2007-07-01
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