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そして、誰もが同じ顔になった

我らの物語

· 泥鰌の目線で

こうすれば、何らかの便宜供与に預かれるかも。
 

そう期待して小学校に首相の名前を冠し、その夫人を名誉校長にと持ち上げる。シツコク陳情を繰り返す。
権力に擦り寄り、虎の威を借る狐の振る舞いだが、そこまではある意味ではよくある呆れた話。

もちろん、森友学園の話だ。

本来、流石にそんなことで通るはずもありませんでした。
で終わる話だろう。
それが終わらなかった、という現実こそが重い。


国民の税金で取得された土地が、一年余りの経過の中で、門前払い、から、ほぼ無償の払い下げ、にまで変わって行く。
為政者とその夫人は、それが表ざたになるまでは(正確には、野党から指摘を受けて表沙汰になっても、知らぬ存ぜぬ、私には何の関係もない、で握り潰せると余裕たっぷりに笑ってい間は)明らかにその経緯を喜んでいたように見える。
それが一転、火の粉を被る可能性が出てくると、口止め、尻尾切り、証拠隠し、圧力、更には北朝鮮脅威論などを使った論点外しまで、籠池理事長側と鏡合わせのようにそっくり、対になるような行動を取り始める。つまり、何のことはない。申請を受けた為政者側も、始めから同じレベルであった、ということだろう。


しかし、それがまかり通るのだ(誰からも文句はつかない。最後は逃げ切れる)、とこの為政者はこの何年かの間にしっかりと学んだのだろう。
誰でもない、我々国民から。


そして、その為政者に、公務員もまた倣い、忖度し、同じく劣化コピーとなって飽くまでも都合の悪いことを隠し通す。
我々もそれを許し、他に選択肢もない、とぼやいて終わり、にしている。


いつの間にか、どちらを見ても、同じ顔だ。誰かがこの現実を作っているのではない。
我々が、国民一人ひとりが、今まさに苦労して、忍耐強く、この国の異様な現実を作り続けている、のではないだろうか。

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